JCD DESIGN AWARD 2009/総評

2009-09-16

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「買うこと」「食べること」「集うこと」「楽しむこと」「伝えること」「感じること」のカテゴリーに分けて募集されたJCD DESIGN AWARD 2009は、史上最高の459点の作品がエントリーした。一次審査を通過した100点を短時間に審査するのは結構大変な作業だった。それは、数枚のボードに貼られた切り取られた場面を審査するのではなく、その表現された”実の空間”を想像し、そこに存在するコミュニケーションの密度を読み解かなくてはならないからである。

一次審査を通過した100点の中でレストランのノミネートが少なかった事に軽い衝撃を感じた。僕たちの上の世代がDCブランドとインテリアデザインを進化させてきた様に、僕たちはダイニングレストランというジャンルと共にインテリアデザインの価値を表現させてきた世代でもあった。その世代が今、確実に感じているインテリアデザインの失踪感は、この現象に象徴され啓示を受けた様に思えて心が揺らいだ。もちろん、空間デザインの領域そのものが拡大して飲食店その割合が変化したという事だろうし、本来デザインという手法がひとつの業種業態の方法論ではない事は承知しているが、その範囲が爆発的に飛躍している様に感じるのも確かである。そして、それはもはや一部の特別な人達だけのものでは無く、民の営みの中にあって例えば”生活の豊かさ”を計る指標のようなものになっている様に思う。故に、美しいとかかっこいいとかの受動的なものではなく、楽しいとかうれしいとかを表現する能動的なコミュニケーションの手段としてデザインの存在がフォーカスされてきている様に思う。いわゆる、これがコミュニケーションデザインの定義である。

コミュニケーションデザインという限りそこには人の営みがある。美しいものは沢山あるが、そこに人がいて初めて美しいと感じる空間こそコミュニケーションデザインであると思う。
その意味で最後まで議論の白熱した中勢以とブロッサムの2作品はコミュニケーションデザインを語る上でもっと象徴的な作品といって良いだろう。
この2作品は、文句無く人の気持ちを動かす力を持っている。しかし、その向こうにある”実空間”を想像すると(あくまでも想像するしかない)、一方には持続可能な空間の強度と言う点で不安がある。人が使う限りは要求される対応時間を無視するわけにはいかない。それは、単純に長さでは無い。住宅には住宅の、レストランにはレストランの、舞台空間には舞台空間の、展示会には展示会の、表現されるものは永遠にも思える変化の速度であったり、一瞬の衝撃であったりするが、それぞれの空間にはそれぞれの役割を全うする時間を与えられている。良い空間とはその使命を全うする強さを持っている。ここでいう強さとは、コンセプトの明解さであったり、心を震わせる魅力であったり、包容力であったりするが、すべて持続可能な強度で無くてはならない。
コミュニケーションデザインとは広義の意味を持っているがこの持続可能な強度を落ち合わせているか否かというところが最後の判断基準にあると僕は思う。

はたしてこの空間は使える空間なのか?この美しさは持続可能な美しさなのか?この空間は持続可能な空間なのか?
作品を通して「コミュニケーションデザインとは何か?」という事を議論する事がJCD DESIGN AWARD2009 の役割ではないかと感じている。

(辻村 久信)

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